僕は律が好きなのかもしれないし、そうでないかもしれない。
律は僕のことを好きかもしれないし、そんなことないかもしれない。
ただ1つ確かなのは、僕は律の話す不思議な話が好きで、
律は僕に話を聞かせ、僕の問いに答えるのが好きであるということ。

友達とも、恋人とも違う。

僕らの関係。



律 と 捨 て 少 年



雨の日の、五月蝿いはずなのにふと戸惑ってしまうほど静かな、雨音が支配する静寂の世界。
一人の帰り道、雨に打たれて僕は帰り道を歩いていた。
こんな日に限って、傘を僕は持たなかった。
小雨の粒が僕の頬でぱらぱらと弾け思わず顔をしかめるが、そのうち諦めて僕は目を伏せた。

自然と昔のことが頭に過る。
雨の日と思い出。
あの日も、幼い僕は雨にうたれながら帰っていた。


「上野君!」

その呼び声は静寂を破り、僕は一気に現実に引き戻される。
慌てて振り向くと、更に驚いた。
透明のビニール傘をさした少女。
声の主。

見覚えのある顔だった。

律だ。

「上野君!」
もう一度、彼女が僕をそう呼ぶ。
小走りで寄ってくる彼女を僕は無表情で眺めた。内心少し動揺していた。
「…間山。」
僕は律をそう呼んだ。
律は腕を伸ばして、傘を僕の頭に傾ける。
当たり前のような仕草に、僕は戸惑う。
「…何?」
彼女は僕を見上げて、涼しい顔で言った。
「入れてあげる。傘、持ってないんでしょ?」
彼女とは幼馴染みだった。
が、中学に入ってからはまともに話をしていない。僕の方から彼女の事を意識的に避けているのもあったが、彼女も同様だった。
とりあえず誰かに見られてからかわれるのは嫌だし、何より居心地が悪くて、いいよ別に、と言おうと思ったが、
「1日噂されるより風邪で3日休む方が重いと思う。」
と、丸で心を読んだかのように彼女に先にクギをさされてしまった。
「受験生だし」
と、律は付け足す。
雨音が響く。
「…じゃあ…」
そういって僕は軽く頭を下げた。
「どうぞ」
「…どうも」

背の低い律に代わって僕が傘を持ち、なるべく律が濡れないように気を配りながら歩いた。
歩幅も違うため、彼女に合わせてゆっくりと歩かなければならない。
傘に入りきっていない僕の肩が、傘から垂れた雫で濡れる。
これなら一人で走って帰ったほうがマシだったかもしれない。
すぐそこに居る律の存在に僕は息苦しさを感じていると。
「上野君」
律が先に静寂を破った。
「何」
「昔、二人で拾った猫。」
僕はどきりとした。
何の事か、一瞬で分かった。
「思い出さない?」
何故なら僕も、ついさっきまでその事を考えていたから。
「あれは雨の日だった。」
律は呟くように続けた。
「小雨の中、どこからか猫の声が聞こえてきて、君は植え込みの下から子猫を引っ張り出した。」
『君』、小学校高学年頃律はよくそう僕を呼んでいだ。
僕達は、いつの間にか立ち止まっていた。
俯いて虚空に目をやったまま、律は呟く。
「ねぇ、覚えているかなぁ」
わすれない。

あの日が多分、僕らが一緒に遊んだ最後の日だった。

「…ああ。白い猫だった…」
そう呟いた僕を見て、律はほんの少し笑った。
「そう、白い猫だった」
立ち止まった植え込みの前。

僕の頭は過去の幻想に引き込まれていた。

引きずり出す幼い僕の手と、心配そうに奥を覗く小さな律が、僕の頭に過る。
か細い猫の鳴き声だけを頼って僕は植え込みの中を闇雲に漁る。
小雨の音。焦りと湿気で滲んだ汗が、雨と混ざって額から落ちる。
ふと僕は柔らかく触れる感触を見つけだし、はっと息を呑んだ。そして逃げないように、折らないように優しく足を掴んだ。
僕は自分の体と一緒にずるっとそれを植え込みから引っ張り出した。
顔を向ける、汚れた毛並みの痩せた子猫。なぁ、と鳴く。
そいつを見て少し涙目の幼い律が歓声を上げる。

律が歩き出した。
僕は慌てて傘を彼女に伸ばして歩き出す。
彼女は無言でさくさくと歩く。


「白い猫、元気かな」
律がおもむろに言った。
彼女は微笑んでいた。
「元気だよ。」
僕がそう言うと、そんな僕の顔を見て律はまた笑った。
傘の上の雨は、いつしか止んでいた。

「今度は私が拾ったね」
僕が理解できずに黙っていると
「上野君を。」
そう律は告げた。
言葉を頭の中で噛み砕き、
「…タクシーみたいな言い方だ。」
と、思わず率直に感想を言う。すると律はちょっと驚いたように言った。
「そうじゃないよ。」
僕は訳が分からず首を傾げる。
数歩歩いて、僕を振り向いて律は言う。
「今度は私が、上野君を拾ったんだよ。」

そのときの彼女の笑顔を、僕は忘れられない。

「あのときの子猫みたいに、ね」


友達とも、恋人とも違う。

僕らの関係。